COUNTRY

イングランド Edit

イングランド(England)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)を構成する国の1つである。人口は連合王国の83%以上[1]、面積はグレートブリテン島の南部の約3分の2を占める。北方はスコットランドと、西方はウェールズと接する。北海、アイリッシュ海、大西洋、イギリス海峡に面している。

イングランドの名称は、ゲルマン人の一種であるアングル人の国を意味する"Engla-lond"に由来する。1707年にスコットランド王国と合同しグレートブリテン王国が作られるまでは独立した王国であった。

日本における「イングランド」はしばしば、連合王国の意味で用いられる「イギリス」と混同されて用いられる。

歴史 Edit

イングランドの名はフランス語で "Angleterre" と言うように「アングル人の土地」という意味である。ローマ領ブリタニアからローマ軍団が引き上げた後、ゲルマン系アングロ=サクソン人が侵入し、ケルト系ブリトン人を征服または追放してアングロ=サクソン七王国が成立した。アングロ=サクソンの諸王国はデーン人を中心とするヴァイキングの侵入によって壊滅的な打撃を受けたが、ウェセックス王アルフレッド大王が最後にヴァイキングに打ち勝ってロンドンを奪還し、デーンロー地方を除くイングランド南部を統一した。その後、エドガーの時代に北部も統一され、現在のイングランドとほぼ同じ領域の王国となる。一時イングランドはデンマーク王クヌーズ(カヌート)に征服されるが、その後再びアングロ=サクソンの王家が復興する。しかし1066年ノルマンディー公ギヨームに征服され、ギョームがウィリアム1世(征服王)として即位、ノルマン王朝が開かれた。ノルマン人の征服によってアングロ=サクソン系の支配者層はほぼ一掃され、フランス語が国王・貴族の公用語となった。その後、プランタジネット王朝は英仏に広大な領土をもつ「アンジュー帝国」となるが、この時期になるとフランス系のイングランド諸領主も次第にイングランドに定着し、イングランド人としてのアイデンティティを持ちはじめた。そして最終的に、14〜15世紀に起こった百年戦争によってほぼ完全にフランス領土を失い、このような過程を経て現在に繋がるイングランド王国が成立し、民族としてのイングランド人が誕生した。


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Last-modified: 2009-04-19 (日) 15:36:12 (5495d)